アカシックレコードにある
【魂の使命】を伝え
自信に満ちた人生をサポートする!
スピリッチ起業コンサルタント
もっこすタケです
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あなたは
「認知症」と聞いて
どう感じる?
治るの?
治らないの?
どういう病気なの?
そこで調べて見た。
すると
出てくる出てくる・・・
↓
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「認知症」とは、
いろいろな原因で
脳の細胞が死んでしまったり、
働きが悪くなったりしたために
さまざまな障害が起こり、
生活するうえで支障が出ている状態のことを指す。
認知症は病名ではなく、
まだ病名が決まっていない“症候群”です。
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だってさぁ
つまり・・・
医学的には、
まだ診断が決められず、
原因もはっきりしていない状態のことっちゃね。
あなたの身近には
認知症の方はいますか?
そんなある日・・・
ある生徒さんが
相談してきたっちゃね
正直
最初のお話を聞いたときには
うーむ・・・
分かんね
と言う感じだったバッテン
「あ!そう言えば
〇〇すれば良いと思い出したケン
実行してハイよ!」
とお伝えした所
な!
なんと!(◎_◎;)
ビックりする様な変化が
起きたっちゃね
それがどんなに
すごいことなのか?
もちろん
もっこすタケは医者ではないし
薬事法があるケン
_________
「治ります」
_________
とは言えないのよね・・・
そこを納得して頂いた
結果・・・
彼女は興奮のあまり
送ってくれた文章を
そのまま載せさせて頂くっちゃね
さあ、どうぞ!
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↓
↓
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私の父は約6年前、
脳梗塞の後遺症で
左半身麻痺となりました。
5ヶ月の入院を経て
退院した時には要介護認定2。
自宅介護が始まりました。
同居の母と弟(独身)
隣市に住む私が通いで
家族3人がかりで介助し
週3回リハビリに通いながら
回復に努めていました。
一点杖で歩行は可能。
幸い利き手の右手が使えたので
洗顔 入浴 トイレ 着替えなど
身の回りのことはこなし
階段昇降も可能でした。
その頃はまだ本人も家族も
回復に向けて
希望を捨ててはいませんでした。
しかし、
退院して1年3か月後
リハビリ施設のドアに挟まれ
転倒し大腿骨骨折。
半年の入院となりました。
残っていた機能も後退し
退院後には不調も多く
自宅介護は家族の負担も
増えていきました。
そして更に自宅での転倒。
再三の入院生活で
認知症も発症しました。
そして要介護認定4。
自宅でも車椅子生活が始まり
機能も衰えた父は元気もなくし
家族も生活パターンを変えて
失意の日々でした。
そして更に約2年前の正月。
風邪から肺炎を引き起こし
3週間の入院。
認知症は一気に進行しました。
担当して下さっていた
ケアマネージャーさんには
ずっと施設への入所を
勧められていたものの
踏ん切りがつかずに退院させ
また自宅介護の始まり。
姿は本人なんだけど
よく知っている父ではない父であることにショックと
底知れない不安を抱える日々。
認知症の進行と供に
体力、免疫力の低下
食事と排泄の介助に限界を感じ
施設入所を決意しました。
その頃の父は
母以外の存在もわからず
子供である私と弟は
よく居る悪意のない人、位の
認識でいたようです。
自分の親に忘れられるなんて
居場所を一つ奪われたような
苦しさと辛さを直視出来ず
私は傷ついた自分に蓋をして
入所させる罪悪感で苦しむ母を
支えることで保っていました。
そして入所した父は
常に適温に保たれた施設で
手厚く介護を受けて
体は元気に過ごしていました。
でも、私から見たらそれは
「ただ生きてる人」でした。
いつ面会に行っても
こちらを伺うような怪訝な顔や
目を反らしてみたりして
決して受け入れてはいない
そんな態度でした。
一緒に生活していた家族よりも
日常のお世話をして下さる
介護スタッフさんの方に
信頼を寄せている、
そんな現実に泣きたくなり
何度も涙を堪えました。
ただ、帰り際に握手を求めると
手は出してきたり。
(度重なる入院の際の
帰る時の挨拶でした。)
少しは日常を覚えているのか?
それだけが救いでした。
「入所させたから…
見捨てられたと思ったの?」
そんな罪悪感で一杯で
正直面会も辛かったです。
そんな日々が約1年半続き
今年の10月。
私はふとしたことから
スピリチュアルに興味を持ち
タケさんの講座に申込みました。
タケさんはZOOMで
家族の「どうにもならないこと」
で悩んでいると言った私に
「それ、誰が決めたんですか?」
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その一言で何かが弾け
私の思い込みが外れました。
認知症治らないって
誰が決めたの?私じゃん!
その翌々日です。
面会で父に名前を呼ばれました。
約1年半、
聞きたくて堪らなかった
父の意思のある声。
私、母、弟、
それぞれの名前を呼び
誉めると満足げな顔。
それまで
痒い、痛い、トイレ行きたいなどの
不快症状の時のみ感情というものを示し
喜怒哀楽というものは
無くしてしまっていたような
父だったのに…。
それから
一週後の面会も
前回よりハッキリした声で
家族の名を呼び
気のせいかもしれないけど
笑顔や照れやドヤ顔まで見せ
家族は驚きと嬉しさで
楽しい時間を過ごしました。
そんな報告をタケさんにした
先日の講座で
↓
↓
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「認知症の人は忘れたいことが
あるから忘れてしまう。
本当は覚えてるだろ?
忘れた振りしてるだけだろ?
って問い詰めると
最初はキレ出してそして・・・
思い出す」
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というような内容を
教えて頂きました。
今日早速
父に試しました。
「お父さん、
ホントはわかってるんだよね?
全部覚えてるんだよね?
私わかってるんだから~
お父さんが家族のこと
忘れるわけないもんね~」
とか
「お父さんが忘れたくなるようなこと
そんなつもりじゃなかったけど
してしまってたかもしれない
ごめんね、でもお父さんのこと
みんな大切なんだよ~
もっとお話しようよ~
そしたら嬉しいんだよ~」
そんな感じで話し掛けました。
父は一瞬息を止めるような
口を一文字に結んで
考え込むような顔をして
目を閉じたり見開いたりし
そしてしっかり私の目を見て
「ありがとう」
ハッキリ言いました。
予感めいたものは
あったんです。
タケさんから聞いた時から
成功する気しかしない気持ちで
何の疑いもなく試しました。
その結果です。
父の忘れたくなるようなこと、
認知症が進行し始めた頃
しょっちゅう言っていました。
「ごめんな、
オレがこんな体になって
みんなに迷惑かけて死んだ方がいいんだ」
だの・・・
「母さんからは自由を奪って
息子からは仕事に集中する権利や
時間を奪って嫁に出した娘にまで
こんなに世話になって犠牲になってもらって
みんなに申し訳ない」
そんなことないよ、と
言い続けてきましたが
それぞれの「介護って大変」
が伝わってしまってたのかも…
父はそんな自己嫌悪と
家族への申し訳なさと
自由の利かない体の不安から
認知症へ逃げてしまったのかも…
私なりに理解して
それを受け入れて
そうじゃないよと否定して
そんなお父さんが大切だよ
そんな気持ちで接したら
奇跡が起きました。
帰り際も
寂しそうな顔をしたり
握手する手に力を込めたり…
それは1ヶ月前までの
「ただ生きてる人」では
ありませんでした。
不思議なのですが
これは私がスピリチュアに
目覚めてから起きた現実で
もう信じざるを得ない力。
タケさんがよく
「自分を信じること」と
言われますが
疑う余地もなくした行動は
結果を引き寄せると
確信した出来事です。
介護で悩まれてる方は
沢山いらっしゃると思います。
私も諦めの日々でしたが
現実は確かに変わりました。
どなたかの心に届くといいなと
お話させて頂きました。
そしてタケさん・・・
気づきのきっかけも
そして更にすごい情報も
惜しみなく教えて頂き
本当に感謝です!!
あの時、講座受けよう!って
思わなかったら今はなく…
ゾッとします(笑)
タケさん
本当にありがとうございます!
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おめでとうございます!
彼女のお父さんは
少しづつ回復に向かってる模様!
やったー!
本当によかったですね!
あなたの身近にもし
認知症の方がいたら
このワークをやってみてハイよ!
是非!お試しあれ!
好きな事だけやろうぜ!
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