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熊本地震 〜私の被災ケース 虹色るみかさんの場合・・・

熊本地震で被災された

虹色るみかさん

 

ブログにて体験談を書かれたます

 

 

以下文↓

 

______________

虹色るみかです。
 
 
 
熊本地震の被災状況を詳しく知りたい
という声をお聞きしたので
 
とりあえず私のケースをお伝えしておきます。
 
 
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(一回目の地震の後に
震災時刻で止まったまま
ソファーに落ちていた
自宅の壁かけ時計。)
 
 
 
 
*****

〈 私の 被災ケース〉

熊本市内在住の私の自宅にて。

 
この春から、娘が県外の大学に進学し
人生初のひとり暮らしが始まった私。
 
 
その日は朝からの電話セッションを終え、
自宅もさらに機能的にリニューアルしようと
 
前日からいろんなグッズを買い込んで
夕食を終え、寝室でくつろいでいました。
 
 

4月14日  夜 21:26 分。

下からドーンと突き上げるような響きと
共に、もの凄い揺れが!!

な、、何?!?

人生初の激しい揺れに、立つこともできず、ただ心臓ドキドキで突っ伏して
揺れが収まるのを待つだけしかできませんでした。

揺れが収まると必要最低限なものだけ慌ててかき集め、実家の両親の安否確認のため連絡をとりました。しかし、何度かけても電話が全く繋がりません。

ましてや高齢の両親は メールなども一切やっておらず 安否確認ができませんでした。

心配なので、
即効 車で 実家に向かいました。

途中の線路脇などでブロック塀が崩壊していてビックリしながら実家に到着。

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すると
家の中はいろんなものが落ちてきてはいたものの、とりあえず両親は怪我もなく無事でホッとしました。

ただ、今になって思うのですが 自宅はこの時の地震の震源の 益城町から、車で30分ほど離れているので

一回目のこの地震は、そこまで の余震もなく   とりあえずは 自宅に戻り、

必要最低限な大事なものだけをかき集め、翌朝からの仕事(電話セッション)に備えて 就寝しました。

翌日はニュースや新聞で、昨夜の地震の被害状況に改めて驚きつつ、知人友人と連絡を取り合い安否を確認。

 

用心のため、この日夜予定していた フィットネス教室の中止をメンバーに連絡後、午前中の電話セッションを終え、

 
 
 

地震で散らかった自宅の中の ひととおりの片付けを終えました。

 
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↑  倒れた植木鉢のお花たちも

植え替えてあげました。

そして、両親が気になったのと、なんとなくひとりで自宅にいるのも不安になったため再び実家へ行き、

(この選択が、後で命の危機を回避することに繋がることになります)
 
 
もうこのまま地震も終息するだろうと二階で安心して就寝。
 
 
 

そして その夜中
まさかの2回目の 本震が襲いました!!

 

尋常じゃない揺れに驚いて跳ね起き、

慌てて逃げようとするも、すでに停電で何も見えず 、
 
 
激しい揺れの中 手探りで メガネや携帯電話など 身の回り品を必死でかき集めました。

携帯電話の灯りだけをたよりに、二階の部屋を出ようとすると、

 
なんと!揺れで移動した大きなタンスが 行く手を阻んで通せんぼ状態に!!
 
 

心臓バクバクの中、タンスと壁のわずかな隙間をどうにか通りぬけ、

足元に物が散乱して 揺れ続ける階段を 

荷物を持ちながら
つま先で足早に 必死で急いで降りて 
二階から一階へ逃げ降りました。

やっとの思いで一階に辿りつき、
仏間の布団でじっとしていた実家の両親を すぐに外に出るよう説得しました。

 
 
とにかく早く靴を履いて
家の外に出るよう誘導。

その間に玄関のドアの鍵を開けに急ぐと、なんと引き戸の玄関のドアの鍵が揺れで壊れて   あ、、開かない!!!

ギャー!閉じ込められた!?

と焦りつつ 横をみると
いつも出入りしてない反対側のドアが
半分開いてるのを発見し こじ開け、
 
 

靴箱の上に置いてた車のキーを
急いで取ろうとしたら、、な、、ない!!

 
手探りでもう一度 靴箱の上をさがしてみたけど  なくて

パニクりそうになりつつ、

 

その間、両親(高齢のため動作が遅くなってる)に、とにかく急いで玄関の外に出るよう声をかけ促す。

イカンイカン!

と  深い呼吸をして落ち着いたら
 
 
あ!地震で下に落ちているはず!と確信し、これまた暗闇の中、携帯電話の光をたよりに探すと、、
足元に落ちていました。

急いで鍵を拾い、出ようとすると
今度は外れて倒れた網戸が行く手を防ぎました。

 

網戸を玄関から家の中に跳ねのけ、
両親と出ようとしたら

 

いつも開け閉めしない方の引き戸の前に
は、ご丁寧に並べられた植木鉢が足元にズラリ!とまた行くてを はばみます。

 

マジか?

今度は必死でそれを移動しながら
両親を先に促し、

どうにか車の中へ 避難させ、
自分も車内へ。

 
 

近くのスーパーの駐車場にて

それぞれの車中で 
ひんぱんに襲ってくる強い余震おびえながら一晩を過ごしました。
 
 
 
となり町では火災発生、
目の前のアパートでは ボヤ騒ぎで
 
一晩中、消防車や パトカーが行き交いました。
 

夜中から朝になってもまだ、余震は容赦なく襲い、

 
 
 
メチャクチャになった実家にも
余震がくるため
入ることもできず、

夜が明けるとしばらくして

近所の方から情報をもらい、
 
近くの高校の体育館に
両親と避難にいきました。

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寝込みを襲われたため

部屋着にメガネのまま飛び出したので

着替えをとりにいきたくて

2回目の地震の 翌々日に
自宅の状況をみにいくと、、

 
 
 
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一回目の地震の後、やっと植え替えた
植木鉢は粉々に(泣)
 
閉めて出たはずの玄関も靴箱も
揺れで半開きで
 
 
 
玄関入ってすぐのダイニングキッチンは
食器棚が倒れて 床には割れた食器が散乱で 行く手を塞いでおり中に入れない状態。
 
 
 
 
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息子の祭壇のある棚からは 飾ってた遺品はきれいサッパリ落下。
 
 
メモリアルライブで バンドメンバーに
弾いていただいた遺品のギター(他界する10日前に 阿蘇の大観峰で まもるが嬉しそうに弾きながら歌っていた エレアコ)
には
 
棚から  アンプが落下して直撃。
 
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衣類を置いてあった
奥の寝室を  おそるおそる
のぞいて見ると、、
 
 
 
 
 
ギャー!!
全ての棚がなぎ倒されていて、
ゆ、、床が見えない。。
 
 
 
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二回目の地震では たまたま実家に泊まってて ここには寝てなかったので
今こうやってブログなんぞ書けてますが、、
 
 
自宅のここに寝てたら(てか、前日はここに寝てたし、、)
 
 
はい。マジ、私、確実に死んでましたよね。。
 
 
 
 
私は 
何も取れないまま   
 
ガクブルで 自宅を後にし
 
 
 
避難所にもどりました。
 
 
そして、実家を飛び出した ままの部屋着にメガネのままで 何日も着替えることもできず、
両親と避難所で過ごしました。
 
 
 
        +  +  +  +  +
 
 
 
そして 18日火曜日は
息子MAMORUの月命日だったため
いつもなら お坊さんに毎月お経をあげにきていただくのですが
 
 
それどころではなかったので
お寺にキャンセルを連絡。
 
 
MAMORUの遺骨の眠るお墓も気になったため、
 
前日の17日の月曜日に お墓の様子をみにむかいました。
 
 
すると、
本家のお墓に行こうとすると、、
 
 
 
 
 
ひぇーーっ!!
 
 
 
 
 
墓石さんたちが なぎ倒されて、道を防いでいました。
 
 
 
 
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それでもいってみようと近づくと
 
これでもいくか?
というふうに
 
道をさえぎるように横たわる墓石が。。
 
 
 
   
 
あきらめて
MAMORUの遺骨のある分家のお墓
へ。
 
 
 
 
 
手前にまた よそのお宅の墓石が
落ちて
 
こちらも行く手を阻んでいました。
 
 
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その時 先祖たちからメッセージがおりてきました。
 
「 今日は お墓に近寄らないでいい。
余震がくるからあぶない。
お参りは そこの遠くからでいいので
早く 帰りなさい。
 
後日 落ち着いてからくればいいから。」
 
 
とのことでした。
 
 
あ、だから通せんぼされてたんだ、、
と納得しました。
 
 
他のなぎ倒されたお墓の方々には気の毒
でしたが
うちのお墓は、ありがたいことに
本家も分家(こちらにMAMORUの遺骨が納められています) 
共に、墓石は大丈夫だったため(写真では
ピンクの☆マーク です)
  
 
 
とりあえず
ホッとして
避難所にもどりました。
 
 
 
 
*****
 
 
 
以上、私の被災体験レポートでした。
 
 
住宅が半壊・全壊された方々に比べると
私のケースは まだまだいい方です。
 
 
雨露しのげて寝る場所があること、
生かされていることに感謝です。
 
 
 
私は相変わらずの避難所生活ですが
このブログをかいてる間も
何度も余震がきています。
 
 
何よりも日頃からの防災対策が
どれだけ大切かを身にしみました。
 
 
 
少しでも皆様のお役にたてれば幸いです。
 
 
 
 
 
 
                          虹色   るみか

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